それは、忙しいプロジェクトの真っ最中のことでした。数日前から、右下の奥歯の歯茎に、なんとなく鈍い痛みを感じていました。親知らずは昔抜いたはずだし、疲れているだけだろう。市販の痛み止めを飲んで、私はその小さなサインを無視し続けました。しかし、週末を迎える頃には、痛みはズキズキとした拍動性のものに変わり、顎の下に小さなしこりのようなものを感じるようになりました。押すと痛い。これがリンパの腫れだと気づいた時、少し不安がよぎりましたが、「月曜日になったら歯医者に行こう」と、まだ軽く考えていました。その考えが甘かったことを思い知らされたのは、日曜日の朝でした。鏡に映った自分の顔を見て、私は言葉を失いました。右の頬から顎にかけてが、まるで別人のようにパンパンに腫れ上がっていたのです。口も指一本分くらいしか開かず、唾を飲み込むだけで激痛が走ります。熱を測ると38度を超えていました。これはただ事ではない。恐怖に駆られた私は、慌てて休日診療を行っている歯科医院を探し、駆け込みました。診断は「歯性蜂窩織炎(しせいほうかしきえん)」。原因は、何年も前に神経の治療をした奥歯の根の先にできた膿の袋が、私の抵抗力が落ちたのを機に爆発し、感染が周囲の組織に一気に広がったためでした。医師からは「もう少し遅かったら、入院が必要なレベルでしたよ」と厳しい言葉を告げられました。結局、その日は歯茎を切開して膿を出し、強力な抗生物質と点滴を受けました。あの時、最初に感じた鈍い痛みや、リンパの小さな腫れを無視せず、すぐに歯科医院に行っていれば、こんな大ごとにはならなかったはずです。あの激痛と、鏡に映った自分の腫れ上がった顔の恐怖は、今でも忘れられません。「まだ大丈夫」という自己判断が、どれほど危険か。この体験は、私に何よりも痛烈な教訓を残してくれました。